先日、社員一同で出雲大社へ参拝してきました。
出雲大社は縁結びの神として有名ですが、恋愛だけではなく、
人と人との縁や豊穣や商売繁盛と、
国が豊かになること全般のご利益があるということなので、
日本と弊社のこれからについて祈ってきました。
ところで、出雲大社に祀られている神様は、
大国主命(オオクニヌシノミコト)ですが、
かれはたしかに縁結びの神と有名になるほど女にモテました。
あまりにモテるので、嫉妬に狂った男に何度も試練にあわされたり、
殺されたりしますが、すべて女性の助言や手助けで乗り越え、
しまいには日本を統治する神にすらなりました。
かれは優しく賢いので、モテるのもよくわかります。
面白いのは、西洋では、力があり龍を倒すものが英雄となりますが、
日本では優しく女にモテるものが王の器のあるものとして
描かれているところですね。
しかしながら、日本を統治したところ、
高天ヶ原(タカマガハラ)と呼ばれる天の国から、
天照大神(アマテラスオオミカミ)の使いがやってきて、
大国主命の息子を人質にとり、日本をあけわたせと言ってきました。
かれは観念して、高天ヶ原にまで届き、
地底にまで達する柱をもった住まいを作ってくれとお願いしました。
それが出雲大社の起源だと言われています。
以上はおおまかな神話ですが、
学者の中にはこれはただのおとぎ話ではないと
考えているものも多くいます。
なんと、2000年に出雲大社の境内から巨大な柱が発見され、
かつてには高さ48メートル、
階段の長さ100メートル以上の神殿があったことが
明らかになったのです。
これはまさに、大国主命が願ったものではないでしょうか。
よくよく考えると、日本最古の歴史書である、
『古事記』・『日本書紀』には天照大神が天皇の始祖であると
書かれています。
その天皇家の始祖が国を譲ってもらった、
または奪いとったのは事実なのではないのか
と考える学者がいてもおかしくありません。
その立場から、古墳についても考察する者もいます。
古墳には、円墳や前方後円墳などがありますが、
あれらの形は各部族のシンボルで、
占領地に立てていたのではないかというのです。
そのように考えると、前方後円墳は天皇一族、
つまりヤマト民族で近畿地方を支配していたのではないか、
そして、中国地方で当時実力のあった一派である、
大国主命のモデルになった民族を屈服させ、
その代わりに出雲大社を作ったのではないかと主張しています。
また、『古事記』や『日本書紀』の史料から読み解く研究者は、
『古事記』には大国主命の神話である出雲神話が
かなりの量を占めるのに、
『日本書紀』には出雲神話がほとんどないことを指摘しています。
それは、『古事記』が編纂されたときは、
まだヤマト民族以外の民族が力を持っていたため、
天皇家の子孫は日本の統治権を譲り受けましたという神話を
きちんと広めていたのだが、『日本書紀』が編纂された頃には、
中央集権化が完了し、天皇家が絶対的な力を得ていたので、
天皇家が統治権を譲り受けたという話は抜かしたのだというのです。
この話は大化の改新などの話と絡めてみると
たいへん面白いのですが、それはまたの機会に譲りましょう。
ついでなので、まったく別の視点から神話を読み解いてみましょう。
この神話を深層心理学から読み解くと、
「中身がないこと」が特徴だという人もいます。
聖書などは、そこから教訓や生き方を得ることができますが、
日本の神話は中身がなく、教義がないというのです。
そのため、逆に、
各々が各々の思いのままのめり込めることができるのだといいます。
そしてその空虚な神輿をみんなで祭り上げる、
いわゆる日本の「空気を読む」という構造が、
実は神話からも読み取れるのだというのですね。
以上のことから、さらに論を進めると、
日本人はヤマト民族という単一民族だった
というナショナリズムからの脱却や、
本質をなくす日本の特徴は目標がないために
祭りのような情緒的な集まりには力を発揮するが、
組織としては合理性がないがしろにされやすい
といったところまで見えてきます。
私は利益があるから学問をすべきだという
「実学」思想には肯定的ではありませんが、
神話ひとつとってみても、実は日本の組織論にまで応用できます。
近頃は日本的経営の破綻が進み、
社員旅行などが忌避されていますが、
仕事以外にも目を向けることは、
実は仕事そのものにも活きるものなのではないのかと思います。
いっぽうで、飲み二ケーションを避ける気持ちも私にはよくわかります。
ITは人と人を繋げたとも言われますが、
一番身近な職場はどんどんビジネスライクな関係になっていく
この現状を、縁の神様はどのように思っているのでしょうか。
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