Urbans ,LLC / アーバンズ合同会社

第二回「経済学における二つの価値論」

こんにちは、今回は「価値」とはなにか、についてお話したいと思います。

さて、一言に価値と言っても、様々な意味合いでの価値があります。

「この商品にはそれだけの価値がある」といった経済的な側面からの価値、

「私の人生に価値なんてあったのかな」といったような哲学的な側面からの価値、

また、その人なりの世の中の見方を「価値観」と言ったりもしますよね。

このように、価値には多様な意味が含まれ、

なおかつその一つ一つがとても深い意味合いを持っているため、

「価値とは何か」といった議論は一筋縄にはならないものがあります。

とはいえ、「人生に生きる価値なんてない」といったようなニヒリズムの克服のためにも、

そもそも価値とはなんなのかを考え続けるのには意味があるように思われます。

さて、多様な意味を持つ「価値」ですが、今回は商品の持つ「価値」について述べていきたいと思います。

経済学において、価値論は二つの学説があります。

一つは「効用価値説」、もう一つは「労働価値説」です。

効用価値説は、どれだけの効用、つまり満足度が得られるかで価値は決まるというものです。

たとえば、一個目のミカンは満足度がすごく高いので価値がその分高いけど、二個目になると満足度が下がっていき価値が下がるといったようなものです。

つまり極めて主観的な価値論なんですね。

しかし、それだけに感覚的に理解できる人も多いと思います。

私なんかは一口目のコーラに100円分の価値があるのではないかと思っているほどです。

さて、もう一方の労働価値説は、その価値は労働量によって決まるというものです。

これも論理的に考えれば納得できるような考え方でして、

たとえば物々交換で経済を回していた時代を考えてみましょう。

ある漁師と猟師が魚五匹とうさぎ二匹を交換したとします。

なぜ彼らは別の物を同じ価値(魚五匹=うさぎ二匹)とみなせたのでしょうか。

魚とうさぎにイコールで結べるような共通のものがあるのでしょうか。

それは、どれだけ労働をしたか、言い換えれば苦労をしたかです。

魚五匹分手に入れる苦労とうさぎ二匹分の苦労が同じだから、

同じ価値として交換が成立するんですね。

以上の二つが、経済学における価値についての考え方でした。

労働価値説の方で経済学を考えていくと、

価値を生み出すのは労働であり、利益も労働が生み出す。

それにも関わらずその利益は会社のものになるという搾取論へと行き着きます。

この考え方は多くの理由から消えていきました(たとえば一億総中流社会になった日本において搾取といった感覚は持ちにくかったのかもしれません)。

一方、効用価値説の方を採用した経済学は、主観的な満足度は測定できないのだからと価値論を放棄してしまい、価格にだけ注目するようになりました。

こうして、現在ではあまり価値論はあまり語られなくなってしまいました。

経済学において価値論はもういらないのでしょうか、はたまたどちらの価値論も間違っていたのでしょうか。

はてさて、われわれはどちらが正しいかといった価値観をどのようにして持てばいいのでしょうか。

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