Urbans ,LLC / アーバンズ合同会社

第二十二回「マンガを読もう、アニメを見よう」

前回、小説について書きましたが、

ほとんど同じようなことがマンガ・アニメにも言うことができます。

そもそも文化というものは、

全般的にその社会の構造や本質を具体的に表現していることが多いのです。

文化史などを見てみるとよくわかると思います。

たとえば、ルネサンス期の絵画は生命に満ち溢れたモノが多いですが、

これは商人が力をつけてきたので、

宗教ではなく自分で考えて自分で行動する

人間そのものを賛歌する人間賛歌の価値観が生まれてきたからだ

と言われています。

私が専門のひとつに文化経済学なるものをやっているのは、

そのような面白さにとりつかれたからです。

そして、それはマンガ・アニメにも言えることです。

娯楽作品はえてして、ただの趣味として片付けられたり、

または私のように深読みすることを忌み嫌ったりする人もいます。

「意味なんてない、面白ければそれでいい」

といったような言説がよくありますが、じつは、

この発想のもとはポストモダンという深い哲学的背景からきています。

そして、それは現在、

誤解に基づいて広まっているとわたしは考えていますが、

その話はまた別の機会にしましょう。

さて、マンガ・アニメはどのような社会背景を映し出しているのでしょうか。

たとえば、

終身雇用制のあった日本型企業がうまくいっていた時代と、

それが崩壊しつつある90年代、

そして崩壊したともいえる2010年代とそれぞれの社会背景をうまく表現していると言われているものがあります。

それが、宇宙戦艦ヤマトからエヴァンゲリオン、

そして進撃の巨人です。

日本型経営がうまくいっていた時代は、ある意味、

会社がひとつの家族のように機能しており

(会社が運動会から葬式まで行った)、

上司の言うことは頼りになる親父の発言のようであったそうです。

そのような背景が映し出されていたのか、

宇宙戦艦ヤマトの艦長はたいへん頼りになる人で、

困った事態に陥ったとき、船員たちは彼にその指示を仰ぎます。

ところが、エヴァンゲリオンになると、上司兼親父は不条理で、

なにをしているのか教えてもらえない、

信用できない人物として描かれています。

当時は新自由主義とアメリカ型経営とも言える能力主義が横行し、

上司は部下を査定し、

いざとなったらクビにする「敵」となってしまったのです。

しかも、人類が破滅するかのような描かれ方は、

まるでバブルが崩壊し就職氷河期ともいわれたほどの経済の冷え込みと見通せない将来を描いているようです。

そして、ついに進撃の巨人が現れます。

エヴァンゲリオンと違って、上司ともいえるような存在ですら、

敵のことが一切分からず、

どうしていいのかわからない状態となっています。

もう、誰もなにもわからないという状況を表しているという人もいます。

どうでしょうか。たしかに、こじつけに見えなくもないですね。

けれども、文化論で重要なのは、

ユーザーがどう意味付けしていくかということなのです。

つまり、私たちがどう楽しむかということが文化を作るというのですね。

これらの作品が面白いと思うのは複雑な理由があると思いますが、

年配のものや上司に対する不信感などを若者が感じているとしたら、

このような一面もたしかにありそうです。

いまあげたような解釈は当然一例でして、

様々な解釈がなされているのが実情だと思います。

学術的には、宮台真司という社会学者がよく解説をしているので、

気になった方はネットで検索してみるといいでしょう。